『人が人としてもちいられる社会』
1+1=2である。しかし、1であるにも関わらず、ある場面では2にも3にもなる場面もある。それぞれの持ち味を生かすことが出来るのなら1+1が2ではなく、5にも10にもなる社会があるのではないか。男は仕事、女は家庭という誤った考え方のもとに固定的役割分担を押し付けてきた時代があった。一方で男女平等をうたうあまり性差を無視した数値的平等性を主張する動きもある。
しかし、男性は男性の持ち味を活かし、女性は女性の持ち味が活かされる社会でなければ本当の男女共同参画社会とはいえないのではないか。
男性性・女性性をそれぞれ活かし、共に家庭も仕事も担うことができたなら。特に家庭教育の場面での男女共同参画についてお伝えしたい。人が人としてもちいられる家庭のつながりとは。
『ありのままのあなたがすばらしい』
人権というと、差別をしてはいけない、差別につながる言葉を使ってはいけない。という禁止の人権擁護を訴える人がいる。もちろんそれも大切なことだが、私はそれを「消極的人権擁護」と呼んでいる。それに対して、人が人として与えられたありのままの自分を輝かせて生きることを私は「積極的人権擁護」と呼んでいる。
私達は比較の中に生きている。何かが出来ればすばらしくて、何かが出来なければ劣等感を感じてしまう。そんな比較と競争の社会にあって多くの人は自分らしさを見失い、心痛んでいる。そもそも人間は比べることの出来ない尊い存在であり、ありのままに生きていることが素晴らしいのである。比べる必要もなく、今この時を精一杯生きることがあなたという人の権利である「人権」を守ることにつながるのだ。
私は兄弟の比較の中に生きていた青春時代があった。優秀で用いられていた兄弟と比べ劣等感を感じ、さらに体格や体力でも劣っていた私は生きている価値を見出せなかった。結果的に強い劣等感に襲われ、やがて劣等感をカバーするために非行に走り、多くの方々に迷惑をかけることにつながってしまった。私という人間に与えられたチャンスを生かすことが出来なかったのである。
そんな私が自分を肯定しありのままの自分を輝かせて生きることにつながったのは「愛されている」という感覚だった。音楽を通し、新しい家族に包まれて、大きな自然の摂理に抱かれながら、私は少しずつ「自分は愛されている存在である」ということを感じ取ることが出来るようになった。それが今の私を作っている。人は愛されることによって自分を大切にすることが出来る。だから、子ども達に関わるときには愛ひとつあればいいのだ。現在、不登校の子ども達や、心に宿題を与えられ自分らしく生きることが出来ないでいる子ども達の心のケアをさせていただいているが、基本哲学は「ありのままを愛すること」であり、「ありのままのあなたがすばらしい」と伝えることである。「できる、できない」ではなく、すべての人が愛されるために生まれてきたのであり、その存在を輝かせて生きることが約束されて様々な個性が与えられている。私の実体験を元に、愛することの素晴らしさと積極的人権擁護の中身についてお話できたらと思う。
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